ほんの記憶1:小林秀雄 江藤淳 全対話(中央公論新社)①
先日、還暦を迎えた。若いころは60歳というと結構なじいさんを思い浮かべたものだが、いざ自らなってみると全然若いのである。そう、気持ちだけは! とはいえ、年貢の納め時に一歩近づいたのは確かなので、これまでの来し方あるいは行く末を考えることが増えた。いくら考えてもたいしたことはしてこなかった。ずっと続いているのは読書くらいなものである。そう思いいたると、これまで読みっぱなしの読み散らかし、何を読んだのか、どういう感想を持ったのかすら覚えていないことがなんだか損なことをしているように思えてきた。そこで、時すでに遅しの感なきにしもあらずなのだが、書評を書いておくことにした。小説、評論、紀行文、あるいは週刊誌の記事や漫画等々、読んだもののわがまま勝手な印象を書き残しておく。書評というより備忘録だろうか。生来の飽きっぽさからいつ何時投げ出すかもしれないが、ひとりごとみたいなものだから、それもまたまあよかろう。
まず最初に小林と江藤、年の差30歳ほどの二人の対話集を取り上げる。単に最近読んだというだけの理由である。二人とも著名な批評家だが、小林については全集を読み通したほど一時傾倒したが、江藤は一冊も完読したことがない。特に嫌いということもないが、読書にはタイミングというものが影響するとつくづく思う。タイミングが合ったのが小林、合わなかったのが江藤ということになる。
この全対話、1960年代から1970年代の十数年間に計5回行われた。中で有名なのが三島由紀夫の自死を巡る対立で、後々まで文壇の語り草になったそうである。「三島事件は三島さんに早い老年がきた、というようなものなんじゃないですか」「いや、それは違うでしょう」「老年といってあたらなければ一種の病気でしょう」「日本の歴史を病気というか」「もっとほかに意味があるんですか」「それなら吉田松陰は病気か」「吉田松陰と三島由紀夫とは違うじゃありませんか」……。一部を抜き書きしてみても相当に面白い。三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に乱入し切腹、自決した“事件”の半年後に行われた対談だけに熱の入りようが半端ではない。この件に焦点を当てるとどこどこまでも終わらない。事件と、二人の意見をまとめ上げて何事かを論評するのはわたしには不可能なので早々に逃げ出すことにする。二人ともジャーナリズムが事件一色になる中でいくつかのコメントや論評を残しているので、それらを参照していただきたい。ただ、30歳違う二人が議論する様はこの対話全体にシマリを与えているのは確かで、江藤が年下だからといって、また相手が大家の小林だからといって変にへりくだったりしていないところが素晴らしい。江藤の作品も呼んでみたいと思わせる。
それはそれとして、わたしがこの対話集の中で忘れないでおきたいと思っているのは、小林秀雄の大作「本居宣長」に関するものである。