ほんの記憶2:小林秀雄 江藤淳 全対話(中央公論新社)②
小林秀雄の「本居宣長」は「新潮」1965年6月号から1976年12月号まで64回にわたり書かれた。実に11年半の長期連載である。書き始めたのは小林63歳のときで、書き上げたのは74歳のときである。ちなみに本居宣長は代表作の「古事記伝」を34年かけて69歳のときに完成している。なんだか年のことばかりいうようだが、わたしも還暦を迎えたぐらいで年寄りじみたことを考えてはだめだと勇気づけられる思いだ。二人の大御所に「きみはまだ若いよ」と肩を叩かれて励まされているような気がする。
「碁、将棋で、初めに手が見える、勘で、これだなと直ぐ思う、後は、それを確かめるために読む、読むのに時間がかかる、そういう事なんだそうだね、言わば、私も、そういう事をやっていたのだね」。小林と江藤の最後の対談は1977年12月に行われたが、その冒頭、小林は11年半という長い年月をかけて一つのテーマを書いた、一人の男を追った道程についてこう述べている。小林がよく使う言葉に「直覚」というのがあるが、直感と言うのとはちょっとニュアンスが違う、ここに言う「勘」とかひらめきのことをいうのだろうと思われる。直覚から検証に至る、その逆はない。小林は言う。「わがまま勝手な書き方をしているうちに、ああなったのですよ」
これに対し、江藤は「『本居宣長』を拝見して、小林さんが楽しんで書いていらっしゃるといいますか、先ほどおっしゃったように、盤面を眺めながら次の手をどう打つかなと反芻していらっしゃる時間の充実感が、文章の行間に生きているように思いました」と語る。小林は文士であるから文章を書くことは楽しいばかりでもなかろうが、どこかに楽しみがなければこれほど長くは続くまい。光は闇の中にある。苦しみの中の楽しみは那辺にあるか。江藤は本居宣長を取り巻く人物たちを次々に取り上げる。契沖、賀茂真淵、中江藤樹、荻生徂徠、堀景山……「読者の体験は、ムソルグスキーの『展覧会の絵』を聴いているときの感じとどこか似通っているようにも思われます」。そう言っておいて、さらに「この展覧会場には宣長のお墓から入るのですが、終章の最後で作者からもう一度お墓へお帰りよといわれて、ああそうか、入口が出口かと納得して終わる、というふうだったのが、ごく平たくいって私の場合の『本居宣長』の読書体験でした」と(たぶん)楽しそうに言う。
なるほど、と思う。「本居宣長」には彼を取り巻く人物が数多く登場する。本居宣長の思想を形作った人々は、時に辛辣に、鋭く、宣長や時代を批評する。その一つ一つを小林は丁寧に取り上げる。引用文が非常に多い。しかもそれらは江戸時代の擬古文や和文なのである。読む方にも丁寧さを要求しているようだ。このことについて小林は、こう語っている。「若い読者がどこまで面倒な引用を読んでくれるか心配だな。引用を読んでもらえなければ、私の方は何も変わった説を書いているわけではないんだから、何にもならない」。小林の懸念は的中した。わたしは若い読者ではないが、引用を読むのに苦労した。時々飛ばして読んだ。それもあって引用自体は3割も理解していないと思う。小林の解説とともに読んで、なんとなくこんなことを言っているのではなかろうかと推測を交えて理解したふりをしているだけだ。こんなことで読書をしたといえるのだろうか。