ほんの記憶3:小林秀雄 江藤淳 全対話(中央公論新社)③止

 前回の終わりのところで正直に書いたのだが、小林の代表作の一つである「本居宣長」で目立つのは引用の多さである。宣長自身の、あるいは宣長を取り巻く人々の言葉をそのまま書いている。実はわたしは江戸時代の擬古文や和文に手を焼き半分以上はすっ飛ばした。なんとかたどたどしく読んだ部分も3割も理解できていないと思う。それでも印象に残った文章はあるもので、そうした読書の成果を探し出してこの項を終わりとしたい。対話集を主題としていながらその中に出てくる著作の方に力点が移ってしまうわけだが、これも読書の妙味の一つといってよかろうと思う。

 「いかならむ うひ山ぶみの あさごろも 浅きすそ野の しるべばかりも」。これくらいなら引用文を読むのもたやすい。今日、私たちは学問の方法ばかりにとらわれている。学び方さえ教えてもらえばもっとたやすく上達できる。そういった学問の道とは真逆の心根がはびこっている。小林は本居宣長について書きながら、また講演で聴衆を相手に話しながら、こうした考えを吐露している。そのことと相通ずる宣長の思想の表れがこの歌である。宣長が弟子たちに求められて書いた「うひ山ぶみ」には「学びようの法」つまり学問の方法が書かれているという。初めての修験道の山入に臨む麻衣を着た若い僧たちの道しるべにと、浅い浅い裾野の道だけを示してみた、しかし、どうだったであろうか……。最初の「いかならん」に宣長のやるせのなさがあらわれていると小林は説く。そもそも学問の方法などというものが人に教えられるものであろうか。そうした疑問が宣長にはあるという。

 小林は先の歌を引いた筆を返す刀で次の文を引く。「詮ずるところ、学問は、ただ年月長く、倦まず、おこたらずして、はげみつとむるぞ肝要」。宣長にはっきり断言できるのはこれだけなのだ、とする。学問に手っ取り早く上達する道などなく、ただこつこつと倦まずたゆまず続けるしかない。この当たり前のことを手を変え品を変え論ずる。このことを指して江藤は「小林さんが楽しんで書いていらっしゃるといいますか……中略……盤面を眺めながら次の手をどう打つかなと反芻していらっしゃる時間の充実感が、文章の行間に生きている」という。さらに「本居宣長」に出てくる人物を挙げ「中江藤樹や伊藤仁斎や荻生徂徠などが登場して、江戸の学問が展開されていくいさまが生き生きと描かれています。日本人の学問の経験といいますか、まねびの喜びというものは結局、あの時期にきわまったのではないかという気がして来ました……中略……明治以来何年間果たしてわれわれは経験しえたのかと考えてみると、きわめて懐疑的になります」と述べる。これに対し小林は「学問をする喜びがなくなったのですね……中略……何にでも分別が先に立つ。理屈が通れば、それで片をつける。それで安心して、具体的な物を、くりかえし見なくなる。そういう心の傾向は、非常に深く隠れてるということが、宣長は言いたいのです。そこを突破しないと、本当の学問の道は開けてこない」と語る。

 くりかえし見る、思う、あるいは声に出して読む、ときにくどいと感じるほどの引用文もそういう思いで読めば怖くない。最後に江藤がそう述べる。「それが、言葉、国語というものを、長い年月をかけてみんなが累積し、その中にだれもがいるということじゃないうでしょうか」。小林は江藤の言葉に「そういう事だね。君の言う累積の中に私達はいる。意識できぬ記憶の方が私達は忘れがちです」と応じている。学問とは歴史だということである。精神とは記憶のことだ。私だけの記憶ではない、歴史の中の埋もれた記憶、その声に耳を澄まさなければならない。