ほんの記憶13:ジュリーがいた(島﨑今日子、文藝春秋)

 ジュリーこと沢田研二に、若いころはさして興味があったわけではなかった。男性アイドル歌手としてしか認識していなかった。しかし、年月を経て、あの報道。沢田がコンサート会場で、来場してくれた女性に向かって「黙っとれ」と怒鳴ったらしいということだ。なぜまた? 今となっては彼もいい年であろう。アイドルと呼ばれ、やたらと女性ファンがいて、ちやほやされるだけの男ではなかろう。若いころとは違うことはわかる。いや、昔からそうだったのかもしれないが、それにしてもなぜ? 自分を支えてくれるファンに怒鳴り散らすとはどういうこと? 

 わたしは昭和38年生まれで、沢田の世代の歌手はよく知っている。テレビの歌番組も嫌いではなかった。インターネットがない時代、テレビは今よりも隆盛を誇っていた。だから、樹木希林がテレビドラマで身もだえしながら「ジュリ~」と叫んでいたので、誰もがその名を知っていただけのことかもしれない。歌が好きというよりは話題のものに追随する、そういう価値観しかなかったように思う。ただ、沢田が歌がうまいということはわかる。歌手だから当たり前、ではない。へたくそな歌手だっていた。彼のような歌声は、他にいない。今も一人もいないと思う。音楽の素人が聴いても印象に残る。だからものまねのネタにならない。真似できないのだ。「勝手にしやがれ」などは最高の歌謡曲だろうと思う。

 ただ、沢田に関してはそれだけのことだった。先述したように、研二の人となりに関心を持ったのは、沢田が七十歳を超えて開催したコンサートで、女性客に対して「黙っとれ」との“暴言”を吐いたとの報道を目にしたからだった。黙っとれ? どういうことか。ネットで調べてみると、沢田はコンサートの最中、イラクのテロ集団に捕らわれの身となったジャーナリストのことなど、世界の緊迫した情勢についてステージで話していた。そこへ、女性客から「歌って~」という声がかかった。ここで沢田は「黙っとれ。おまえの意見を聴いてるんじゃない」などと怒鳴ったらしい。

 年を取ると、自分が決して尊敬される存在ではないことや、自分が発する言葉を真剣に聞いてもらえないことが身に染みて痛いものなのだが、沢田の場合も同じとみえる。いや、隠さなくていい。いくら若いころはアイドルと言われ、女性にモテて、金のなる木として多方面からちやほやされたか知らないが、いまやそうした特別扱いも往年の比ではなかろう。何を言っても相手は話半分のはずだ。そうではないか。そこに、世界情勢について語る自分に茶々を入れる人間がいた。それは怒るだろう。自分のコンサートである。自分が王様なのだ。そういう意識があってもおかしくない。

 とはいえ、もう少しポジティブに考えてみれば、沢田はアイドルと呼ばれたころから、そうした表面上のこととは別に、人の話の途中で腰を折るような所業を見ると、相手が誰であろうと叱責するような男だったのかもしれない。硬派の不良という印象もあるし、実直な頑固者という感じもする。アイドルといってすましていた者が、なんだか複雑な表情でわたしの前に現れたような気がした。それまで持っていたわたしのイメージとは遠い姿にちょっと興味を持ったのだった。

 「ジュリーがいた」を本屋で見かけて買ったのは、そうした経緯があったからである。読んでみると、わたしがいわゆる青春時代だったころの沢田をとりまく歌手、アイドルたちが縦横に登場し、さまざまなエピソードを語り、沢田が単なるアイドルではなく時代の先端をゆくエンターテイナーだったことが証明される。歌手であり、またタレントであり、歌を聴かせることと共にその艶姿で魅了する。そんなトップオブトップの地位を確立し、維持する姿はなにやらの求道者にも似ていた。

 テレビの歌番組「ザ・ベストテン」の逸話が面白かった。沢田は歌手という立ち位置について「僕は見世物でいいってやりだしたわけです」と語っていたそうだ。見られてなんぼ、芸術家気取りはしない、という意識があったようだ。だからこそ、アーティストという輩に対する反発も強い。「ザ・ベストテン」はテレビの番組であるから、自称アーティストは出演したがらない風潮があった。その理由は、いわゆるテレビサイズといわれる短くアレンジした曲を歌わされること、またバストショットといわれる胸から上で切り取られた映像が主になること、などが挙げられるが、我らがジュリーはそんなことは気にせず(少なくとも表面上は)歌っていた。そこへ、自称アーティストの代表格だった松山千春が出演し、芸術家がテレビなるものへの出演を決意した気持ちを延々と語り、自らの曲をフルコーラスで歌った。このため、遅れてスタジオに到着し待機していた山口百恵が歌えなかった。このことに沢田が激怒したという。アーティストぶった者のわがままをなぜ許すのか、というわけである。滅多にテレビに出ない松山らをテレビに出すために彼らの言うなりになるテレビ局の姿勢が許せなかったのだという。

 やはり沢田は硬派なのだ。なかなかの頑固者、でもある。今、昭和の気配漂うこの男は、何を語るだろうかと興味がわく。いま現在のジュリーは何を語るのか、実は、それがないのがこの本の唯一にして最大の欠陥である。この本は週刊誌の連載をまとめたものらしいが、週刊誌という媒体は現在の社会現象を切り取るものではないか。本人の現在形の肉声がない連載が成り立つのかとの不満が残った。しかし、以前の沢田の声は節々で効果的な抒情を醸し出しているし、取り巻く人々の沢田に関する思い、評価、そして時代と共に動く世界観のゆらぎのようなもの、それらは傾聴に値する。本の帯には「バンドメンバー、マネージャー、プロデューサー、共に『沢田研二』を創り上げた69人の証言で織りなす、圧巻のノンフィクション」とあるが、確かにそれらが沢田本人の現在の言葉がないうらみをすすいでいるかもしれない。沢田は最近は取材者が何者であろうと拒否の姿勢を貫いているらしいし、そうした状況の中では面白いものが仕上がったとほめるべきなのだろうと思う。

 時代背景を含めて、芸能界とそれをとりまく若者文化とでもいうべき風俗の、浮薄にならない個性的な物語は興味深かった。次回はゼヒ、沢田本人の肉声を交えたノンフィクションを期待したい。