ほんの記憶14:充たされざる者①(カズオ・イシグロ、ハヤカワ文庫)
ほかのカズオ・イシグロ作品でもそうなのだが、この人が書いた小説は一気読みしたことがない。たいていは夜、寝る前に、十数ページずつじっくり読み進める。読まない日もある。だから、一冊を読み終えるのに数か月かかることも珍しくない。もとより「一気読みできる」というのはわたしにとって何のPRにもならない。読書する喜びをかみしめながら読むとき、一気に、徹夜で、怒涛のように、読めるわけがない。いい本とはそういうものではない。
はじめて読んだカズオ・イシグロ作品は「わたしを離さないで」だった。正直に言うと、読み通せなかった。わたしは当時、20代か30代だったと思うが、若いわたしにとって面白くない本だった。スピード感がない、起伏に乏しい、会話にリアリティが感じられない、など不満は多々あった。その後、長年、カズオ・イシグロ作品を手に取ることはなかった。改めて彼の作品を読み始めたのは、彼がノーベル賞を受賞した2017年以降、作品が書店にずらりと並ぶようになってからである。
わたしは50代になっていた。若いころとは読書の傾向も変わっていることを自覚していた。以前は面白くなかった本や映画や芝居などが面白く感じられることもないわけではない。何か読み違えもあるかもしれない。そう思い、平積みされた中から選んだのが「日の名残り」だった。イギリスの貴族の老執事の話かと、あまり食指が動く内容ではなさそうだったのだが、他も似たり寄ったりのように見えたので、どれでもいいという気持ちで購しかし、期待せずに買った本に満足するという体験は久しぶりだった。カズオ・イシグロの小説はゆったりと進む。派手な事件は起きない。白波けたてる海ではなく、大きなうねりの中で、過去と現在が交錯する。
精神とは記憶のことである。過去の一つ一つの出来事の中で染み入った記憶がその人の心を形づくる。カズオ・イシグロの小説には長い時間が直線的には流れずに、ゆらめき、たゆたっているような感覚がある。海の波間に仰向けに浮かんで空を見ているような・・・記憶は時間の流れの中でゆっくりと熟成される。「日の名残り」に続き、「遠い山なみの光」「「忘れられた巨人」「浮世の画家」「クララとお日さま」・・・手に入るカズオ・イシグロ作品を次々に読んでいった。そう、ゆっくりと、何日も何週間も、ときには何カ月もかけて。そうして最後にたどり着いたのが、表題にした「充たされざる者」だった。
なんだかよく分からない、そう思いながらやめられない、その最たる作品だったかもしれない。