ほんの記憶20:そして誰もいなくなった(アガサ・クリスティー、ハヤカワ文庫)

 推理小説の古典といわれる作品の一つである。中高生のころ(ずいぶん昔の話になるが)、古典と聞くと読まねばならないような、何かの拍子に話題になった時に恥をかかないように、いやそういう功利的な観点は別にしても自分の人生を豊かにするには大事にすべきものではないかとか、いろいろ考えるものである。そんな時に買って、読まずに積んでおいた本がいくつかあって、それらをこの間、ミステリーの古典ばかり4冊読んでみた。表題作品のほか、「黄色い部屋の謎」(ガストン・ルル―)、「夜歩く」(ディクスン・カー)、「Yの悲劇」(エラリイ・クイーン)。この4作の中で一番おもしろかったのが「そして誰もいなくなった」なのだった。

 推理小説に限らず翻訳物の小説には、何か抜きがたい不信感というか、隔靴掻痒の感を抱くのだが、それが翻訳の拙さに由来するものなのかどうか。自らの語学力では判然としない。しかし、どうしても日本語の小説に比べて翻訳物は言葉が軽くふわふわしている気がする。地に足が付いていない感じなのだ。海外の推理小説は、その頼りない言葉で、重々しいことをのたまう。言い回しのくどさ、仰々しさ。どうにも鬱陶しいのである。「黄色い部屋の謎」と「夜歩く」にはそれを特に感じた。「黄色い部屋の謎」の方はトリックや登場人物は魅力的なのだが、ストーリー展開が遅く、なかなか読み進めなかった。「夜歩く」の方もおどろおどろしい雰囲気を作ろうとしすぎている気がする。謎解きもあまり面白くなかった。「Yの悲劇」の評価は難しい。謎解きと言うよりは、意表を突いた犯人像に力点が置かれている。その犯人像にリアリティありやなしや、ということで専門家の評価もわかれているらしい。わたしにはこの犯人捜しは面白かった。ただ、長すぎる。冗長な表現を縮小して3分の2ぐらいにしてくれればもっと楽しめたように思う。

 一番いいのは「そして誰もいなくなった」のような軽快さである。すいすい読める。十人の男女が孤島に集まった。そして次々に殺人事件が起きて、みんな死んでしまう。いかにも推理小説らしい謎かけがいい。どういうこと? フーダニット? いくつもの殺人が発生するのだが、これもクリスティーの特長の一つだろう、暗くないのだ。カラリと乾いている。重くない。そして、あっと言わせる結末は見事。ただ一点、あえて文句をつけるなら、あるトリックの設定が、人間の視力とか聴力とか、人によって能力が違うものに少しでも頼ってはいかんのではないか? ということだが、まあそこまで目くじらを立てるような短所でもない。無論、ネタバレにつながるようなことは詳しくは言えないので隔靴掻痒の言い草だが。

 4作を読んで、久しぶりに推理小説への興味、読書欲がわいてきた。日本の作家のものも読みたい、いくつかを読み比べてみようかと思う。