ほんの記憶7:信長を殺した男(漫画・藤堂裕、原案・明智憲三郎=秋田書店)
戦国時代最大のミステリー「本能寺の変」は、用心深いはずの織田信長が一見したところあまりにもあっけなく明智光秀に殺されたのがわたしもずっと不思議だったのだが、この漫画の原作「本能寺の変431年目の真実」を読んだときは本当に衝撃を受けて、そうだったのか、まいった、とほとんど信じ込んだ。非常によくできたストーリーであり、説得力もある。それでも今は初めて読んだ時から月日が経ち、と新たな疑問もわいてきているのだが、謎解き物語としての面白さは失われていない。従来の説に逆らう筋なので、歴史学者等から言わせれば文句もあるかもしれないが、素人目からの印象、記憶を書きとどめておきたい。歴史物語の新たな説を取り扱った推理ものとして今後読みたいむきにはネタバレを含むことを前もってお断りしておく。
明智光秀と徳川家康が共謀して織田信長を討ったという仮説を、明智家の末裔という原案者が一級の歴史資料をひもといて展開していく。主謀者は光秀、その誘いに乗ったのが家康。そして討伐の理由は光秀の信長に対する遺恨などではなく、天下をほぼ手中にした信長の次の企てである「唐入り」、つまり中国大陸への侵略を阻止するためという。さらなる覇道を突き進もうとする信長を止め、太平の世を築こうという目的は、なかなか壮大である。いじめられたからその仕返し、というのでは光秀がチンケな男に見えるが、この理由であれば謀反もやむなし、と思える。明智家の末裔が書いた物語といってしまえばそれまでだが、信じたくなる筋立てではある。日本の歴史が、いじめに端を発した恨みつらみで動いたとは、あまり考えたくない。現実はそんなものなのかもしれないが。
ただ読んだ当初は「これはすごい」と思ったが、今となっては疑問もわく。まず光秀と家康の謀議はそもそも成り立つだろうか。物語では、光秀は信長から家康暗殺の企てを聞き、その計画を乗っ取った形で信長を討つ。家康暗殺にあたっては、信長が家康を饗応する体裁を整え、両者とも少ない供回りで信頼を深めようとの目的を装う。戦をできる態勢を取らずに歓談しているさなか、光秀の大軍が家康を討つ作戦である。これを光秀が逆手にとって家康ではなく信長を討ち京都周辺、近江一帯を制圧する。と同時に、家康は東日本あるいは北陸方面に展開している信長配下の武将、例えば滝川一益らを抑え込む。水も漏らさぬ計略に見えるが、それは光秀側から見た場合で、家康から見ると危険極まりない。光秀を信じて手を結ぶのはいいが、信長を殺した後の安全はどう保証されるのか。家康軍ははるか東方にいるのである。近江一帯を制圧した光秀が次にとる行動は、明日の強敵になる家康の打倒ではなかろうか。昨日の友は今日の敵、それが戦国乱世のならいであろう。わずかな手勢しかもたない家康は簡単に倒されるだろう。この危険を回避できない限り、家康が光秀の企てに乗ることはあるまいと思われる。
ただ、このことを割り引いても物語は面白かった。漫画になったら迫力のある絵が一層興味をそそった。現在、NHKの大河ドラマ「どうする家康」が放映されており、ちょうど7月23日の放映が本能寺の変をテーマにしたものだった。信長と家康の“友情”らしきものを軸に据えており、それはそれで一興ではあったが、あまりにも情緒的過ぎてわたしはついていけなかった。想像をたくましくするのも限度がある。しかし「信長を殺した男」の想像力も、いわゆる男の友情を基礎にしたものではあった。戦国の男たちが信じるのは自分一人、和議を結ぼうが、同盟関係にあろうが、隙あらば相手の寝首をかくことばかりを考えているのであれば、あまりにも寂しすぎる。そう言いたいのであろうか。気持ちはわかる。殺し合う時代にあっても、人はけだものではないのだ。歴史をロマンチストが好むゆえんである。