ほんの記憶6:近藤誠 何度でも言う がんとは決して闘うな!(文藝春秋2014年1月臨時増刊号)

 赤鉛筆や蛍光ペンによるアンダーライン、数え切れないほどの付箋が付いている。何度も読んだ。書籍も20冊ほど持っている。といって、わたしはいわゆる“近藤教信者”ではない。わたしががんになったら? 闘うかもしれないし、闘わないかもしれない。手術? するかもしれないし、しないかもしれない。抗がん剤? 使うかもしれないし、使わないかもしれない。そしてこれこそが近藤誠が言いたかったことだと思う。選択肢はある、自分で考えよ、ということだ。

近藤誠の現代医療との闘いの原点は、この本にも“近藤思想”を伝える逸話として出てくる故逸見政孝さんのがん死である。この経緯をたどった「『神の手』を告発する」、そしてその事実を医学的に振り返った近藤誠、山崎章郎両医師の対談「末期がんと逸見政孝さん」、これら二つは医療とりわけがんへの対処に関心を持つ人にとっては必読といえる。

逸見政孝さんは人気アナウンサーとして活躍しているさなかにがんで亡くなった。多くの人々がその名を知る人だっただけに話題を呼んだ。逸見さんの病名は「スキルス胃がん」。胃がんの中でもタチの悪いがんとされる。東京・赤坂の外科病院と東京女子医大病院の二カ所で手術を受けているが、近藤医師はいずれの手術についても疑問を投げかける。特に批判の矛先を向けるのは同大消化器病センター所長のH教授による再手術である。最初の手術から1年もたたずに再発、女子医大を訪れた逸見さんを待っていたのは臓器を約3㌔も切除する大手術だった。逸見さんのがんは既に腹膜播種があった。腹膜転移のあるスキルス胃がんの5年生存率は2%以下という。臓器を大量切除する必要があったのか? 近藤医師は「ない」と断言する。そして手術後の抗がん剤治療も、つらいだけで「意味はない」とする。近藤医師は「がんにかかったときに、あまりにも治ることに目をやると、かえってひどい治療を受けかねないことも肝に銘じておこう。困難なことかもしれないが、いったん死んだ気になって、医者の説明や態度、治療方法の合理性や病気の性質などを、さめた目で判断しないと、ひどい手術を受けさせられてしまう」と述べている。

 近藤医師の著書には「患者よ、がんと闘うな」から始まって「抗がん剤は効かない」「放置療法のすすめ」「医者に殺されない47の心得」など刺激的なタイトルが多い。わたしは新聞記者時代、医者と患者の信頼関係に目を向けたシンポジウム「患者塾」を担当していたが、これに登場する医者にこうした著作についての評判を聞いたことがある。まとめていうと、全否定はしないものの概して間違いの多い理屈であり、患者が鵜呑みにするのは危険というものだった。好き嫌いでいえば、たいていの先生方が嫌いだったと思う。現代医学・医療に公然と反旗を翻しているのだから当然ではあるだろう。わたしも近藤医師の言うことが百%正しいとは思わない。それが冒頭に書いた、がんと闘うかもしれないし、手術も受けるかもしれないし、抗がん剤も使うかもしれないということだ。要は、医者の腕自慢のような手術は受けないし、いたずらにクオリティーオブライフを下げるような抗がん剤治療も拒否する。医者の言うことに唯々諾々と従わない決意が大切なのである。

 “近藤本”の読み方には注意を要する。がんと闘うな、といっても、それは「無意味に闘うな」と自分で意味を付加しなければいけない。抗がん剤は効かない?、そういうことが多いという意味だ。放置? ひやひやしながら放っておくことはなかろう。開腹するような大手術でなく、内視鏡でポコッとくりぬくような手術ならさっさとやってしまったらどうか。自分で考えてますか? 疑問符を抱くことの大切さ、よく読めば、いたるところにそのような近藤思想がちりばめてある。

 そのような意味でも、山崎章郎医師との対談は実り多いものだといえる。山崎「再発末期がんの手術ということで誤解のないように断っておくと、がんを治すためではなく、症状を軽くするための治療、手術というのはありうるわけです……中略……逸見さんの場合、再手術は確かに近藤さんが言われるように妥当性があるとは思いませんが、初回の手術については私はそれなりに納得できます。末期の再発がんの場合には手術すべきではないという点はそのとおりですが、初回手術は一概に否定すべきものではないと思います」近藤「もちろん僕も手術を全部やめろなどと言っているわけではないんです。ただあまりにも世の中の常識ががんというと即手術という方向に傾き過ぎているという現実がある」。このようなやり取りに近藤医師の本心が垣間見える。

 近藤医師が書いたり言ったりしたことは、医療の素人がそれを受けなければならなくなった時に持つべき勇気を与えてくれる。しかし、身振りの大きい言葉に振り回されると本質を見失う。医療は百かゼロか、ではない。同じ病気でも人によって症状や対処法が変わりうる。病気で弱ったときに困難なことかもしれないが、できるだけ冷静に、最善の方法を探りたいものである。