ほんの記憶11:俵屋の不思議①(村松友視、世界文化社)

 若いころ、といえば20代だが、いい宿の条件は「安さ」であった。ドライブがてらの旅行が好きで、九州の温泉地等をよく巡った。一度、北九州から箱根まで車で行ったこともあるが、これはさすがに疲れた。宿は雑誌などで安いところを探し、予約しておく。ホテルだと夕食は外へ食べに出るが、日本旅館は宿で食べることになる。腹が膨れればなんでもいい。そういう思想だったので、冷めた天ぷらや、乾燥して麵のかたまりになった茶そばや、冷凍もののような味の薄いタイとマグロとイカの刺身三点盛り等が席に着く前から並べてあるメシでもかまわない。酒で流し込めばなんでも美味だった。

 しかし、確か30歳前後の頃だったか、九州の、いや全国的にも名旅館の誉れ高い由布院温泉の「亀の井別荘」に宿泊することとなった。1万坪の敷地に離れが点在する老舗旅館。今も全国各地あるいは海外からも観光客が訪れ、なかなか予約が取れない宿である。中谷健太郎社長のインタビュー記事を何かの雑誌で読んだのと、作家の山口瞳が著作「温泉へ行こう」で取り上げたので興味がわいた。「いっぺんぐらいは高級旅館に泊まろう」という気持ちで夏休みの平日を利用して行ったのだ。これが素晴らしい体験で、以降、宿泊施設選びは旅の最重要要素に躍り出ることになったのだった。

 亀の井別荘で泊った部屋は「十六番館」。当時はかやぶき屋根だった。畳の部屋が中庭に面していて、広めの窓を開け放てば風が抜けてエアコンなしでも涼しい。温泉の内風呂があっていつでも入り放題。大浴場にも近い。雑木林の中の渡り廊下をぶらり歩けば、木々の緑とゆらめく木漏れ日、湯上りの身体をなでるそよ風が桃源郷を演出する。このようなゆとりのある宿は初めてだった。日本全国さがしても、そうざらにはあるまい。食事がまた素晴らしい。造りはヤマメ等の川魚だったと記憶する。ほか、アユの塩焼き、地鶏と地元産野菜の煮物、箸休めのトウモロコシの冷製スープ、滝を模した氷鉢に盛った冷や麦もあった。そして、メインは豊後牛の炭火焼、締めのごはんと漬物まで、間然するところがないという言い方がぴったりの見事なものであった。

 前置きが長くなった。亀の井別荘を手始めに、日本旅館もホテルも厳選するようになった。同じ由布院の「玉の湯」、鹿児島・妙見温泉の「石原荘」、沖縄の「ザ・リッツカールトン」、東京の「パレスホテル」あるいは「ペニンシュラ」・・・。料金もそれなりに高いが、「いい宿に泊まる」ということは「かけがえのない時間を過ごす」ということであり、金には代えられぬ。ヴァカンスを大切にするヨーロッパの人たちは日常生活を切り詰め、貯めたお金を一気に使って休暇を楽しむというが、そうした思想が今は理解できる。若い頃からこうすべきだったとも思う。時間は戻らない。感覚がみずみずしい時に一流の味、設え、もてなしを味わうことは大切であろう。何かの本で読んだことがあるが、子どもだからといって安全のためにプラスチックの食器を使わせるようなことがあってはならぬ、小さいころからちゃんとした陶磁器やガラスの器を使って食事をするべきである、とのことで、全面的に賛成である。

 なかなか本論の「俵屋」に到達しない。日本旅館の最高峰といわれる俵屋は、さまざまな記憶を呼び覚ます。そうして、なぜこのような宿が存在し得るのかを考えさせる。これも数ある「不思議」の一つなのである。