ほんの記憶18:アントニオ猪木自伝(猪木寛至、新潮文庫)

 子どものころからプロレスファンだった。もっぱらテレビ観戦なのだが、毎週、放映開始の5分前にはテレビの前に陣取った。ジャイアント馬場、アントニオ猪木がタッグを組んでいる時から見ていたので、猪木が全日本プロレスを飛び出してBI砲が見られなくなったのが残念だった。父が猪木が社長になりたがっただとか、わがままだとかなんとか悪く言っていて、そうなのかなあ、と思っていた記憶がある。これ以降、わたしのプロレスに関する思い出は馬場とそのライバルたちにほぼ限られていく。

 中学生のころ、自宅近くのホテルが馬場が率いる全日本プロレスの外国人レスラーの宿舎だったことがある。わたしはそのことを知ると、学校から帰る途中にホテルでレスラーたちが会場へ向かう夕方の出発を見送り、夕食を食べた後に再度ホテルを訪れレスラーたちの帰りを見守った。わたしと同じような近所の物好きが少し集まってはいたが、それほどの騒ぎではなかったと思う。わたしはいつもテレビで見ているドリー・ファンクJr、テリーファンク、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、ビル・ロビンソン、大木金太郎らが出入りするのをワクワクしながら見ていた。テリーとは握手してもらった。大きくて柔らかい手だった。そのテリーをドリーが「テリー、テリー」と大きな声で呼んでいた。ファンサービスに熱中するテリーに「早く来い」と言っているようだった。ブッチャー、シークが額から血を流して帰ってきたのに興奮した。ブッチャーは血と汗にまみれながら、小さな男の子を見つけて握手の手を差し出していた。もっとも男の子は怖かったのだろう、泣き出してしまったが・・・。

 外国人レスラーは全日本プロレスの方が、猪木率いる新日本プロレスよりも圧倒的に良かった。テレビ放映の時間帯も全日本が夜8時のゴールデンタイム、新日本は夕方5時ぐらいからのしょぼい放送だった。わたしは猪木は馬場と並ぶくらい十分に強いと思っていたが、あまり関心はなかった。魅力的な外国人レスラーと死闘を演じてくれないと面白くないのである。当時、わたしはプロレスというものは半分がショーだと思っていた。が、あとの半分は本気で、ショーの部分も面白く迫力のあるものにするための実力は「強さ」といっていいものだろうと考えていた。ともあれ、プロレスは1人だけでは成り立たない。強力なライバルが必須なのである。

 だから、猪木が現役のプロボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリと異種格闘技戦をやると知った時は本当に驚いた。アリのパンチを警戒した猪木が寝そべって戦い「世紀の凡戦」という酷評を浴びたが、どうしてどうして、わたしはスリル満点の試合だったと思っている。試合開始直後、スライディングしながら最初のキックを放つ猪木、寝た相手にはパンチを出せないためベロを出して猪木を挑発するアリ、いら立ったアリが猪木の足をつかんで振り回すかひっくり返そうとした時に逆にアリの足をつかんで尻もちをつかせた猪木、数えるほどしか放たれなかったが空気を一文字に切り裂くようだったアリのジャブ・・・等々、今でもよく覚えている。この試合があったからこそ猪木のその後に興味を持った。

 プロレス界ではずっと馬場がサラブレッドで、トップで、猪木が2番手の構図は将来も変わらないように見えた。しかし、猪木本人はそうは思っていなかった。いつでも馬場に追いつき追い越し、唯一無二の存在たろうとしていた。米国最大のプロレス団体NWAを全日本にがっちり抑えられながら自らの技術とパフォーマンスでタイガー・ジェット・シンのような外国人レスラーを育て、アリに代表される異種格闘技戦に挑み続け、プロレスから遠ざかった後も国会議員として活躍した。猪木自伝には、激しく揺れ動く人生の中で求め続けた充実感、挫折と復活が描かれている。腹の底から「プロレスラー」だった男の仁王のような面貌とその裏の茶目っ気たっぷりの笑みが、わたしにはとても魅力的なのだ。

 よくもまあ、こんな男がいたものである。良くも悪くもスケールが違う。何を考えているのか、どこまでマジメなのか、どこからが冗談なのか、そこらは混然一体としているのか・・・凡人のモノサシを当てようとしてもまるでダメで、どこか宇宙の果てから俯瞰するような感じで見ないとこの人間は理解できないような、そんな器の違いを感じさせる。本人にもよくわかっていないのではないか。猪木が猪木自身ではないような、「私、プロレスの味方です」の著者、村松友視が書いていたが、猪木にはこんな口癖があったという。「どうってことねえですよ」。本当に面白い男である。