ほんの記憶12:俵屋の不思議②(村松友視、世界文化社)
ようやく本論である。この本は写真付きで、俵屋という名旅館を創り出し、日々支える人々が登場する。職人気質がにじみ出るような顔、顔、顔が入れ代わり立ち代わりあらわれ、村松氏の細部にこだわる文章で描かれる。真実はディテールにしかない、というべき職人の仕事ぶりを見ながら、息づかいを感じながらの読書体験なのだ。
まず最初の方で「洗い屋」なる職人が出てきて、わたしはこういう仕事があったのかと驚いた。さすが京都である。俵屋の客室の風呂は、高野槙の浴槽だ。風呂桶としては最上といわれ、もちろん毎日スタッフが洗うのだが、2年に1度ほど様々な道具を用いて大掃除ならぬ大洗いをして風呂場を再生させる。野口米次郎さんという洗い屋は「先にこういうもんでやって、人間の脂取ってから洗わんと」と言い、風呂場にペーパーやすりをかける。木肌の傷み具合によってはまずカンナをかけて削ることもあるという。それから昔は桟俵を焼いてその藁を漉して灰汁にして、それを細い竹でこすって洗っていたらしいが、今は苛性ソーダを使って洗う。苛性ソーダで浮かした汚れをこすって洗い流し、その後さらす意味で酸を塗る。その時に使用するのが硫酸で、野口さんはこれらの配合を舌で舐めて行う。「硫酸ねぶったらピッときよるわねえ」「そりゃきますよ」「すぐパッと吐かな・・・」。そういう野口さんと村松氏の会話が出てくる。「パッと吐けば大丈夫なものなんですか」「すぐ唾とともに吐き出さんと。ちょっとでも口の中キズしてたら、もう腫れてきよるし。薄いねんやけどねえ」「命がけですね・・・」「いや、そんなことおまへんけど、まあ、なれっこやしねえ」。こういう話が面白い。京都にはこういう職人がいて、なんだか表現に困るほどすごくて、いささかユーモアも感じさせる。
「俵屋の不思議」には洗い屋のほか工務店の大工や左官、畳屋、和紙職人、植木屋、骨董屋などさまざまな職人が登場する。俵屋主人の佐藤年さんを中心に、その差配のもと腕を振るう。まずは佐藤さんが芸術家なのだろうと思う。アーティストのさまざまな発想、こだわり、ときには我儘とさえとれるような要求に職人たちがなんとか応じていく。たぶん「なんやかや次々に言うてきようるなあ」とでも言いながら、面倒なのだけれどだからこそ贅沢で楽しい、そんな仕事をやっているのだろう。求める側と応える側の丁々発止のやり取りが描かれ、プロの仕事とは何かを考えさせる。
村松氏はずっと昔、「私プロレスの味方です」で一世を風靡した。わたしもプロレスが好きで、突然に大きくいえば、人生とはプロレスだと思うのだが、あまりにも飛躍が過ぎてなにがなんだかわかるまい。プロレスは格闘技であり、ショーである。格闘技とショーは矛盾するか。プロレスの味方は矛盾しない、とみる。敵は、これをして「八百長だ」などという。プロレスの味方にとっては幼稚な言説である。この論のどこが俵屋につながるか。俵屋は宿屋である。商売である。商売は金儲けである。しかし、俵屋は金儲けのためだけにあるのではない。存在がすでにして文化たりえている。だから、ただの商売ではない。アンヴィヴァレンツの濃い塊が人生だ。それでなくては面白くない。
「あらあ、なっちゃん大きくなったねえ」。なっちゃんとは、わたしの娘である。娘は1歳のときから俵屋の常連である。だから仲居さんとも顔見知りなので、数年ぶりで訪れた際にこうした言葉をかけてくれる。一流旅館は気取っているかと思いきや、こうしたそこいらのおばちゃん風の言葉遣いでももてなしてくれる。だから、おもしろい。