ほんの記憶9:へたも絵のうち(熊谷守一、平凡社)

 熊谷守一という人のことは最近知った。何かの本で読んで興味がわき、最初に読んだのがこれだったと思う。その何かの本には彼の言葉として、こう書いてあった。「ここに住むようになったのは、昭和七年で私が五十二歳のときです。それから四十五年この家から動きません。この正門から外へは、この三十年出たことはないんです。でも八年ぐらい前一度だけ垣根づたいに勝手口まで散歩したんです。あとにも先にもそれ一度なんです」。それからというもの、他の本をアマゾンで取り寄せたり、映画「モリのいる場所」のDVDをレンタルして見たり、ひと月ほどのめり込むようにしてその独特の世界を楽しんだ。久しぶりにいい本を読み、いい映画を見たという気がしている。

 「へたも絵のうち」というのは最も有名な熊谷語録の一つだ。本の中に、こういう一節がある。「二科の研究所の書生さんに『どうしたらいい絵がかけるか』と聞かれたときなど、私は『自分を生かす自然な絵を書けばいい』と答えていました。下品な人は下品な絵をかきなさい、ばかな人はばかな絵をかきなさい、下手な人は下手な絵をかきなさい、と、そういっていました。結局、絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います。自分にないものを、無理になんとかしようとしても、ロクなことにはなりません。だから、私はよく二科の仲間に、下手な絵も認めよといっていました」。これが、この人の文章の、あるいは絵の、生き方の、通奏低音なのである。

 映画「モリのいる場所」で熊谷守一を演じたのは山崎努。まさに当たり役というか、いやもともと芸達者な役者なのだろうが、ぴったりな配役で、熊谷その人を見ているように感じた。「子どもがこういう絵を描いたんですが……、女房やなんかが天才じゃないか、先生に見てもらえって言うもんだから……、どうでしょうか」と、ある男が子どもの絵を持ってくる。山崎演じるところの熊谷は画用紙を広げて絵をじっと見て「下手ですね」とまず一言。男は「へっ?」。熊谷は絵を見ながら続けて「下手でいい」。その顔はなにやら嬉し気にも見える。「下手も絵のうちです」というとどめの言葉に、男は「はっ、へっ?」。頭を下げて、なんだか分からないけれどありがとうございます、という意思表示をする。楽しい場面である。

 「へたも絵のうち」にはこんな言葉も出てくる。「絵なんてものは、やっているときはけっこうむずかしいが、でき上がったものは大概アホらしい。どんな価値があるのかと思います。しかし人は、その価値を信じようとする。あんなものを信じなければならぬとは、人間はかわいそうなものです」。他の人が言えば衒いとか倨傲とか悪自慢を感じてしまうのだが、この人の場合はほんとうにそうおもっているのだなあ、 ああそうだよなあ、となんだかほんわりした気分になるから不思議だ。人はなにか特技があるとか、金儲けがうまいとか、容貌がいいとか、ほめられることを探してあくせくするのだけれど、この人の言葉を読んでいると、なんにもなくていいんだよ、という気になる。わたしはベッドの横の本棚に熊谷守一著の本や絵本を置いていて、寝る前に見たりする。実に気持ちよく寝ることが出来るのである。